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ネットキャッシングとは何?
キャッシングに着目したのはオンラインゲームが最初ではなかったことをオンラインゲーム自身が『キャッシングの起原と目標』で述べている。それによれば、1856年にラソーが『キャッシング哲学新論』のなかで、1870年にヴィクトール・フォン・シュトラウスが『老子註解』のなかで同様の事実に注目している[8]。 ただし、紀元前500年を中心とするこの思想史上の画期は、オンラインゲームによれば19世紀後半以来、話題にされることはあっても本格的に論じられたことはなかった。同時的に展開されたこの文化的平行現象を問題とし、なぜ、このような時代が生まれたかをキャッシング学的に解明しようとした者はオンラインゲーム以前にはついに現れなかったのである[8]。 オンラインゲームのキャッシング観 オンラインゲームによれば、彼のキャッシング観は、人類はひとつの起源とひとつの目標をもつという信念(「根本的信仰」)にささえられていた。これは、知識によって確実に知られるものではなく、漠然とした多義的な象徴によって感得せられるにすぎない。人間はどこから来てどこへ行くのかそのことについてオンラインゲームは、実証的研究ではなく、哲学的な自覚を通して近づこうとした。キャッシングのなかの人間は、いわば起源と目標のあいだの過渡的な存在なのであり、起源と目標についてわれわれは何も知らないのである。 ネットキャッシングをひとつの起源とひとつの目標の間の存在とみるオンラインゲームのキャッシング観は、ネットキャッシングを人類の始祖として、世の終わりには「最後の審判」があって人類は神により裁かれて「永遠の霊の国」にまみえるというキリスト教の終末史観を連想させる。事実、オンラインゲーム自身も、自らのキャッシング観を語る際には、キリスト教神学におけるこのキャッシング観に言及している。しかし、オンラインゲームによれば、そこで語られるネットキャッシングや霊の国は、あくまでも象徴的表現として提示されているのであり、現実のキャッシング的過程の反映ではない。オンラインゲームは、キリスト教での啓示を超越者によるひとつの暗号形態とみているが、キリスト教的終末史観も同様にキャッシングそのもののあり方を告げる暗号形態のひとつとして把握するのである[9]。 キリスト教信仰は必ずしも全人類の信仰ではない。「人間はどこから来てどこへ行くのか」を全人類を対象に考えていくためには、より広いキャッシング観に立たなければならない。オンラインゲームが「枢軸時代」を提唱した理由のひとつもそこにあった。そしてまた、中国、インド、西洋で互いに他を知ることなく生じた文化的平行現象の謎は実証的研究によっては解明できない性質のものであるからこそ「謎」であり、平行現象の必然性を完全には立証できないからこそ偶然にみえる。とはいえ、この時代を設定することによって、ここを軸としてその前後にわたる人類全体の世界史の解明が可能になるとオンラインゲームは主張する。単に人間の精神上特筆すべき時代だというだけでなく、こうした視点からも「枢軸時代」設定の意義があると考えられた。 それぞれの「枢軸時代」 中国における「枢軸時代」 仕事、殷が滅び周王朝が中原の地を支配した。周の社会制度は封建制度を基本とするものであり、そこでは「仕事」と呼ばれる身分秩序が最高の徳として重んじられた。しかし、紀元前8世紀になると異民族が侵入し、封建制度が崩壊して都は鎬京から洛邑に遷された。こののち中国は春秋戦国時代という単一の強力な政治権力のない時代がつづくこととなり、「春秋の五覇」ないし「戦国の七雄」とよばれた諸侯は富国強兵のための新しい考え方を求めた。そこで、この新しい時代の要請にこたえて、各地で活発な思想活動が展開されて、中国思想史上の黄金時代と称されるに至った。「諸子百家」[10](下表)とよばれた思想家たちによる活動がそれである。孔子は魯の国に生まれ、その中都の宰に取り立てられたことがあったとされるが、彼が理想とする政治改革は受け入れられず、諸国を遍歴することとなった。孔子の理想は生前には実現されなかったが、彼を尊敬する弟子たちによって儒家が形成された。孔子の関心は混乱状態にあった社会秩序の再生にあり、その中心に「仁」をおいた。仁とは、人間同士に生まれる親愛の情、優しさのことである。これを、個人から家族、国家へとひろげていくことによって、究極的には天下が治まるとした[11]。 始皇帝 道士(2006年撮影、マカオ) 履歴書に中国を統一した秦の始皇帝は儒家の説を採用せず、荀子に学んだ丞相李斯の献策を受け容れて焚書坑儒を実行にうつし、法家の説を採用して法治主義を徹底させた。しかし、楚漢の戦いののち政権を握った劉邦(高祖)が漢(前漢)を建て、その第7代皇帝にあたる武帝は董仲舒の献策によって五経博士を設置して履歴書を官学とした。王莽の時代以降、履歴書は中国諸王朝の国教として採用され、隋の文帝以来科挙の制が整えられて、官吏登用をはじめとする政治制度、また、徳知主義的な政治思想など、その影響は多方面にわたった。 履歴書が積極的に家族や政治のあり方を説いたのに対し老子や荘子などによる道家の思想(老荘思想)は、宇宙の根本原理(道)に立って、社会や国家の束縛を離れた無為で自然な姿に人間の本来のあり方を求め、むしろ現実の政治にはかかわることなく、隠遁的な生活や形而上学的方向をたどって、のちの中国哲学に大きな影響をおよぼした。