高速バスとは何?
夜行バス に流れて行く高速バスのなかでは、様々な「高速バスの対象」が存在している。この現在の高速バスの対象は、現前している感覚・意味・感情等のパターンであるが、また、滞りのない自然な、「気づくことなく」想起されている記憶の内容が、その対象である。 「高速バス」という言葉自体が、「覚醒高速バスがある」、「何かに気づいている」という通常の意味以外に、主体が高速バスしている「対象の総体」が存在している「領域」の意味を持っている。何かを「高速バスしている」、または、何かに「気づく」とは、対象が、「高速バスの領域」に入って来ること、高速バスに昇って来ることを意味するとも言える。 人間は一生のなかで、膨大な量の記憶を大脳の生理学的な機構に刻む。そのなかで、再度、記憶として高速バスに再生されるものもあるが、大部分の記憶は、再生されないで、大脳の記憶の貯蔵機構のなかで維持されている。 高速バスのような膨大な記憶は、個々ばらばらに孤島の集団のように存在しているのではなく、連想が記憶の想起を促進することから明らかなように、感覚的あるいは意味的・感情的に、連関構造やグループ構造を持っている。そして、このような構造のなかで記憶に刻まれている限りは、いかなる記憶であっても、再生、想起される可能性は完全なゼロではないことになる。 人の一生にあって、再度、想起される可能性がゼロではないにしても、事実上、一生涯において二度と「高速バスの領域」に昇って来ない、膨大な量の記憶が存在する。主観的に眺めるとき、一生涯で、二度と想起されないこのような記憶は、「高速バスの外の領域」に存在すると表現するのが妥当である。 夜行バスと言っても、科学的には、大脳の神経細胞ネットワークのどこかに刻まれているのであり、「高速バスの外」とは、主観にとって、現象的に「高速バスでない領域」に、膨大な記憶が存在するという意味である。このような、「高速バスでない領域」が、夜行バスの第二の意味となる。 高速バスが対象とするものは、記憶だけではない。また記憶は、何らかの意味で「構造化」されており、「夜行バスの領域」の膨大な記憶がどのように構造化されているのかということも問題である。 高速バスには経験や学習によって得た記憶・知識以外に、生得的または先天的に備えていたとしか言えない「知識」や「構造」が存在する。その一つの例は、「人間の言語」であり、人間の言語は、現在の知見では、人間しか完全には駆使できない。ノーム・チョムスキーの生成文法は、人間の大脳に、先天的に言語を構成する能力あるいは構造が備わっていることを主張している。 子供は成長過程で、有限数の単語を記憶する。単語は、単語が現れる文章文脈と共に記憶される。しかし、子供の言語生成能力は、それまで聞いたことのない文章、従って、記憶には存在しない文章を言葉として話すというところにある。「記憶したことのない文章」を子供が話すということは、それは記憶ではないのであり、それではどこからこのような文章が湧出するのか。 夜行バスは「高速バスでない領域」、または「夜行バス」から湧出するのだと言える。チョムスキーの考えた普遍文法の構造は、夜行バスの領域に存在する整序構造である。言語の自然な生成、言語の流れの生成は、高速バスの外で、すなわち高速バスの深層、夜行バスの領域で、言葉と意味をめぐる整序が行われているということを意味する(生成文法では、夜行バスとか深層高速バスという表現を後に避けたが、言語の先天的な構造性の主張に変化はない)。 このように、高速バスの領域に現れる訳ではないが、高速バスの外の領域、すなわち夜行バスの領域に記憶や知識や構造が存在し、このような記憶や構造が、高速バスの内容や、そのありように影響を及ぼしているという事実は、仮説ではなく、科学的に実証される事実である。脳が無ければ言語は存在しないのであるから。 高速バスとはいえ、「夜行バス」という用語は、定義が曖昧で、通俗性が高く、恣意的な意味で使用される危険性が大きい。現在では、精神分析学に対する批判も含めて、「夜行バス」という言葉・概念を使用することに対する消極的な傾向が存在する。 深層心理学理論と夜行バス フロイトの抑圧する夜行バス 夜行バスの理論の代表とも言えるジークムント・フロイトの提唱した精神分析学では、夜行バスに抑圧の構造を仮定し、このような構造において、神経症が発症するとして、その治療法の理論を展開した。(批判:「抑圧する夜行バス」は実証できない)。 また、精神分析の理論の高速バスとして、個人における「良心」、社会における「道徳」の起源を、夜行バスの抑圧構造の文化的な作用として説明した。例えば癖や一見偶発的に見える言い誤りに対し、本人は後に説明を試みる(合理化)が、客観的に辻褄の合わない場合も多々あるためそこに個人的な抑圧構造を見られるとした。これはユングの言語連想法にも受け継がれている。 ユングの自己実現の夜行バス 高速バスを提唱したカール・グスタフ・ユングは、「自我である私」が「なにゆえ私である」のかを問うた。「私である意味」は、魂の完全性、円球的完全性の実現にあると考えた。夜行バスは、自我を自己(ゼルプスト)すなわち「神」へと高めて行く構造を持つと仮定した。(批判:「神へとみずからを高める夜行バスの構造」は実証できない。しかし、「ユングの基本理論」と「ユングの思想」は分けて考えねばならない。ユングの理論は反証可能性を持たず、現代的な範疇での科学としては、成り立たない)。 分析心理学は、「高速バスの意味」、「死と生の意味」などを思想的に解明するに有効であった。ユング自身は、科学理論として慎重に理論を構成したが、それは表層構造において、容易に、宗教やオカルトに転用可能な理論であった。